2023
08.16

パスポートを読み解く

八重山

帰化と領事サービス

 石垣島に住む台湾高雄出身の吉本美雪さん(1951年生)が保管する写真のなかに、1964年11月に石垣島の空港で撮影したカットがある。石垣島の台湾出身者たちが台湾の中華民国外交部(外務省に相当)の係官を出迎えたときの写真で、父親の故・吉本忠治さん(1924年生)が撮影した。

裏面には次のようなメモがあった。

一九六四年十一月四日
八重山華僑在於石垣機場迎接□□科長和□□□随員

 「八重山の華僑が石垣空港で□□科長と随員の□□□を出迎える」という意味だ。「□」の部分は、手書きの崩し字が達筆で、読み取れない。

 このメモを読んだ時、筆者は台湾の資料館で閲覧した公文書のことを思い出した。外交部が1963年から66年にかけて係員を沖縄に派遣し、パスポートや台湾への入境ビザの発給手続きを行ったことを示す業務報告の資料である。この時期は、米国統治下の八重山において、台湾系の人たちが日本に帰化し始めており、中華民国政府は領事サービスの充実を迫られていた。

 公文書で1964年の業務を確認すると、10月から11月まで沖縄でパスポートの発給などが行われており、ちょうど撮影日と重なっていた。業務報告に記載された係官3人の名前のなかには、メモにある崩し字とよく似た名前の人物が含まれ、石垣島を訪れたのはどうやら關鏞氏と徐漢斌氏という人物だったようだ。

石垣空港に就航していたエア・アメリカのC-46コマンドー(吉本忠司氏撮影、吉本美雪氏提供)。1964年7月1日、それまでの民航空運公司(CAT)に代わって石垣に乗り入れた

 

 パスポートの話をもうひとつ。

 1920年代に台湾で生まれ、石垣島に移住したAさん。生前のパスポートを御子息に見せていただいたところ、「琉球那覇」で1962年3月に発給され、63年8月に更新手続きがなされていた。つまり、上述の業務報告で示されている1963~66年よりも早い時期に発給されていたのである。

 さらに、更新手続きを行った63年8月に着目してみよう。更新を担当した係員の名前として「TA-JEN LIU」とのタイプされている。業務報告には、1963年に沖縄を訪れた係官のなかに「劉達人」という人物が含まれており、この名前はピンインで表記すると「LIU DA-REN」となり、「TA-JEN LIU」氏の可能性がある。

新たな「過去の文書」から

 一枚の写真、一冊のパスポート、そして一綴りの公文書を組み合わせると、台湾の中華民国政府が沖縄でパスポートを発給していた1962年から66年までの5年間に、八重山の台湾系住民もパスポートを手に入れており、少なくとも1回は石垣島で出張サービスが行われていたことが分かる。

 この業務報告を含む公文書が台湾で公開されたのは2016年7月6日のこと。筆者が石垣島で台湾系の人たちに会い、インタビューをするようになったのは1999年なので、そのころはまだ伏せられていた。それが今は公開され、モノクロの写真を読み解く手掛かりを与えてくれた。石垣島の台湾系の人たちがどのような境遇に置かれていたのかをこの目で直接見ることはできないが、残された史資料を組み合わせることで「そのころ」に一歩ずつ近付くことができる。

【トップ画像の説明】石垣島の台湾出身者たちが台湾の中華民国外交部の係官を出迎えた際に撮影された写真=1964年11月4日、旧石垣空港(吉本忠司氏撮影、吉本美雪氏提供)

★松田おすすめの1冊★

ひと口に「パスポート」と言ってみても・・・

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