12.29
台湾ルーツの相続あれこれ
この夏の旧盆に合わせて石垣島を訪れた時、相続で困っている人がいると言われ、話を聞きにいった。台湾生まれの父親(1929年生)の相続手続きをしたいが、台湾の戸籍資料が取得できないというのである。相続といえば、私も父が亡くなった後に手続きをしたことがあり、その煩雑さは十分承知しているつもりだ。この人は何に困っているのだろうか。
復帰・断交と国籍
沖縄の本土復帰(1972年5月)と日台断交(1972年9月)を機に、八重山に住む台湾系の人たちの国籍にかかわる問題は大半が解決し、居留のステータスについても問題はほぼクリアになったはずだ。しかし、相続の手続きでは、亡くなった人の生涯を証明する戸籍資料をそろえなければならず、そのためには故人のルーツに立ち戻らなければならない。台湾へ、ということである。
八重山の台湾系の人たちは、今ではその大半が台湾で生活経験のない2世や3世である。中国語や、いわゆる台湾語が話せない人は珍しくない。台湾出身の親がいつ生まれたのか、どこで生まれたのかを知らない人だっている。このような人たちが、台湾から自分の親の戸籍資料を取り寄せなければならないのだ。
50年近く前に国籍や居留のステータスに関する問題が解決し、八重山に住む台湾系の人たちが安心して暮らせる環境が整ったと思い込んでいた私は、虚を突かれた思いだった。
「節目」に気づかされるテーマ
2022年は50年の節目がいくつかあったが、51年目以降に持ち越されていくテーマは依然として残っていると気付かされたといってもいい。
この手の問題に通じた人なら「領事館に相談すればよいのでは?」と思うことだろう。御説ごもっとも、である。確かに那覇市内には台北駐日文化経済代表処那覇分処という事実上の領事館があり、台湾の当局から戸籍資料を取り寄せる手続きをフォローしてくれる。ただ、八重山の台湾系の人たちのなかで那覇分処をしばしば訪ねているという人はそう多くないだろう。国籍や居留条件に関する問題で思い悩むことも減り、日常的に接点を持たなければならないという必然性は低下しているからだ。
私がお話をうかがった人はその後、行政書士や人づての情報から那覇分処での手続きを知り、父親の戸籍資料を手に入れることができた。さらに、八重山の台湾系住民の伝手を頼って翻訳を引き受けてくれる人を探し出し、戸籍資料の日本語訳を作成し、ようやく相続手続きを済ませることができた。かれこれ1年ほど費やしたそうだ。
悩み抱える生活者
八重山に暮らす台湾系の人たちは、パイナップルやマンゴー、水牛といった産業資源を持ち込み、八重山に定着させた。水稲の分野では、クルバシャ―という7本の溝を切った棒を回転させる農機具を持ち込み、戦後の八重山農業界に革新的な変化をもたらしている。
しかし、八重山の産業や社会に大きなインパクトを与えた立役者として目を向けるだけでは十分とはいえない。外国にルーツを持つがゆえの悩みを抱える生活者なのである。
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八重山の台湾系住民が集まって開かれた台湾風の祭祀でさまざまな供え物が並んだ=2022年12月18日午前、石垣市名蔵の福徳宮