2023
10.30

アミ族の村で続く与那国の交流

台湾

 与那国町(沖縄県八重山郡)の小学6年生が台湾東部にあるアミ族の集落、タバロン(花蓮県光復郷)でホームステイするプログラムは、新型コロナによる3年間の中断を挟み、今月中旬に4年ぶりに行われた。2012年の開始から数えて今年で9年目である。与那国町は1982年から花蓮市との間で姉妹都市交流を行ってきたが、その枠を花蓮県にも広げる形で教育交流が続いていることになる。タバロンと与那国の間には人的な関係が一定程度築かれており、与那国側では今後、一層の人的支援が必要となるだろう。

リアルな台湾グルメ

 2017年の交流では、タバロンと与那国の小学生がバスで光復郷の市場まで出かけた。野菜などを買い込んで帰り、学校で餃子を包んだりするのだが、市場で売られているものを自分の眼で見、買い物をし、タバロン側が買ってくれたミカンをその場で食べるといった体験は、贅沢としか言いようがない。

 さらに一歩進んだのが2019年の交流。タバロン側は与那国の子どもたちのために食材としてカタツムリを用意して臨んだ。伝統的に料理に使われるこの食材も、与那国島の子どもたちが食べ物として認識するにはややハードルが高かったようだ。驚くやら、戸惑うやらで、調理場には押し殺したようなざわめきが広がった(トップ画像を参照)。ホストファミリーのなかには、この前日、与那国側の希望を容れてタピオカミルクティーを用意しておいてくれた家庭もあっただけに、与那国の子どもたちは台湾グルメの複雑さや重層性を味わうことになった。

適応力で不安解消

 花蓮はタロコ峡谷を有し、外国人の姿もよく見かけるが、花蓮県全体が国際観光地になっているわけではない。タバロンのある光復郷に泊まってみても、外国人らしき人影は筆者だけというのが誇張のないところである。鉄道のアクセスをみると、台北から花蓮まではひっきりなしに特急が走り、2時間ほどで行き来できる。人気観光地へのルートだけに特急のチケットが取りにくいこともある。一方、タバロンへの入り口となる光復駅は花蓮のさらに先にあり、列車で40~50分余計かかり、本数も台北~花蓮ほどには多くない。

 こうした地域でのホームステイに、与那国町のある小学校校長は「小学生には無理なのではないか」と、当初は懐疑的だった。そう思うのも仕方がないと思う。

 台北などの大都市であっても子ども連れとなれば、気遣いをするものだ。学校の教員がタバロンへ小学生を連れていってみて、「失敗したので帰ることにしました」というわけにはいかない。言うまでもなく、リスク管理は必須だ。

 ホームステイした当の小学生はといえば、言葉は通じないながらもタバロンの子どもたちと打ち解けていく。その様子を目の当たりにして、この校長は一転してホームステイを後押しする立場に回った。

次の年を見据えて

 これまで交流が継続することができたのは、子どもたちが発揮する密やかな力と、意気に感じて寄り添ってきた人たちの熱意や取り組みに負うところが大きい。ただ、時の経過と世代交代によって、メンバーは入れ替わる。タバロン側では、交流をリードしてきた地元出身教員が別の学校へ異動した。与那国側では人事異動によって数年単位で担当者が変わる。これまでの交流により、与那国とタバロンの間には一定の人間関係が築かれており、今後の関係継続では人的支援がより重要になるだろう。

たとえば、タバロンのアミ語と与那国の「どぅなんむぬい」を絡めた交流を組み合わせてみる。言葉の継承や保存に関心のある与那国関係者がホームステイと同じ時期に花蓮界隈に滞在していれば、いざという時のバックアップができる。

 今回(2023年10月)のホームステイでは、与那国の児童16人がタバロンの児童7人の自宅に滞在した。受け入れ側の7人のうち3人は小学5年生で、与那国側とは学年が異なるが、これは、タバロン側が次の年を見すえて、あえて学年にこだわらない選択をした側面もあるという。一年単位ではプログラムを実施するのみならず、何年かにまたがるスパンでとらえていく視点は、今後の継続をよりたやすくするうえで大切だ。

【トップ画像の説明】カタツムリの炒め物を調理するタバロンの小学生たち。向こう側では与那国町の小学生たちが驚きの表情=2019年10月21日、台湾花蓮県光復郷

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