2025
12.07
12.07
シュガートレインの廃線跡/疎開者の足取りを探して
台湾の彰化県溪州郷という地域には、かつて製糖工場がありました。製糖の原料となるサトウキビを運ぶため、鉄道も敷かれていました。日本統治期の台湾では、近代的な製糖業が発達し、各地に工場と製糖鉄道が作られていますが、溪州もそのような地域のひとつです。
疎開者が見た風景
溪州には、また別の表情があります。それは、沖縄からの疎開者が身を寄せた地域だったということです。第二次世界大戦の末期、沖縄から1万人余りが台湾に疎開していますが、その疎開地のひとつとなっていたのです。
溪州にやってきた疎開者たちは、どのような風景を見ていたのか。
その当時の雰囲気に少しでも近づきたくて、溪州のサトウキビ鉄道跡を訪ねました。かつての疎開者が、この沿線の風景を見ていたわけではありません。その風景は、今とはずいぶん違ったものだったことでしょう。ただ、その土地の基盤となっている骨格は、今もそう変わっていないはずです。それならば、今でも、土地の雰囲気は感じ取ることができるのではないか。

小春日和
溪州を訪ねたのは2025年12月5日のことです。よく晴れていました。夏のような陽気だったので、半袖で歩きました。レールはあちこちに残っていて、グリーンロードと名付けられた遊歩道が延々と伸びていました。踏切の痕跡、ポイント切り替えのモニュメント、かつてのディーゼル機関車に、疎開者たちが目にした風景を重ねようと努めました。
なお、溪州の疎開者のことは、台湾の中央研究所台灣史研究所檔案館が収蔵する資料「沖繩及南洋群島避難臺灣難民統計資料」(識別號:LJK_06_05_0220848、2025年11月26日閲覧)に記載されています。


