08.14
「今、感謝している」 平凡な言葉の向こう
石垣島の嵩田(たけだ)地区は、台湾出身の人たちが戦後、開拓した地域だ。見上げると、沖縄県最高峰の於茂登岳(標高525メートル)がそびえる。ふもとの斜面は、かつてはジャングルだった。台湾から石垣島へいち早くマンゴーを導入した台湾2世の島田長政さん(80)は、この村の中心人物だ。

島田長政さん(手前)と、写真家の西野嘉憲さん=2025年8月9日、作品展「島に根を張る」のギャラリートーク
東京銀座のソニーイメージングギャラリー銀座
嵩田のリーダー
台湾からやってきた人たちが石垣島で暮らすようになってから約100年が過ぎた。パイナップルや水牛を導入し、八重山の産業資源として定着させた功績はよく知られているが、こうした輝きは、国籍の問題で揺れ動いたり、いわれのない差別を受けたりといった影の歴史と一体だ。石垣島で生まれ育った台湾系の人たちのなかには、今も、自身の台湾ルーツを隠して生きている人がいる。
島田さんは、葛藤の末に怒り、強い言葉を吐くことをためらわない人である。しかし、最近は少し変わってきたのかもしれない。
2025年8月9日、写真家の西野嘉憲さんが嵩田地区をテーマにした作品展を開き、9日夜のギャラリートークに島田さんが登場した。作品展は、西野さんが出版した写真集「島に根を張る」(立夏書房)から40点余りを展示したもので、トークでは作品について語り合うのかと思いきや、島田さんの話は違っていた。
逆境のおかげ
島田さんは、八重山の台湾人が経験してきた厳しい状況を、自身の体験を交えながら一通り語りはしたが、私が印象に残ったのは、マンゴー栽培の成功について「先見の明があるから」と言われることがあるという件(くだり)だ。
島田さんが日本国内のマンゴー栽培の第一人者であることは論を待たない。ルーツが台湾にあるという自身のプロフィールを生かし、台湾から石垣島に優れた農業を導入したバイタリティは特筆すべきだ。そして、最も重要なことは、台湾で学んできた栽培スキルを独り占めせず、仲間にシェアしていったことである。おかげで石垣島には優れたマンゴー農家が増え、産地として知られるようになった。
こうした道のりを、島田さんはこんな言葉で表現した。
「逆風が続いたおかげで、足腰の強い農業ができている。今、感謝している」
「感謝」という平凡な言葉も、島田さんが語ると、趣の違いを感じずにいられなかった。いろいろなものを幾度となく潜り抜けてきた野武士の体で、ゆったりと構えているようなニュアンスだ。
百年の重量感
この言葉を聞いたギャラリートークの帰路、頭によみがえってきたのは、幼くして台湾から石垣島に渡ってきたある男性のことだ。この人は、島田さんよりずいぶんと世代は下で、名前を曽根財基さん(故人)という。石垣島のコミュニティのどこに居場所を求めたらいいのかと悶々と過ごし、アイデンティティに悩みぬいた末、曽根さんは台湾人でも日本人でもなく、「人」として自分自身を捉えるようになっていった。一切の修飾語を取り除いた「人」である。なんら属性を示さないシンプルさによって、それまで背負わされてきた人生の起伏を示すという逆説的な自己認識だ。
苦痛を覚えるほどに耐え抜き、いやになるほど悩み抜いた末に達した境地。宗教家や哲学者ではない。島田さんも曽根さんも、暗闇のなかでまじめに手探りをしてきたことで、その人にしかたどりつけない言い方を手に入れたのではないか。
「今、感謝している」
だれにでも言えることだが、「八重山の台湾人」の歩いてきた約100年の道のりがこの二文字の向こうにあると思うと、言いようのない重量感を覚える。


