11.22
「わからない」が分からない 八重山の台湾人のことば
季節の野菜を探す
夏場は、近くにある市場のあちこちでナーベーラーが安く売られていて、しょっちゅう買っていた。ようやく冬が近づいてきたこのごろは、鉄分豊富なハンダマを摂りたくて、市場を徘徊しているのだが、なかなか見つからない。野菜を売っている人に尋ねてみても、目当ての野菜とは違うものが出てきてしまったりして、いったいこれはなんなのかと首をひねりつつも、買って帰り、それはそれで意外な楽しみがある。
ナーベーラーもハンダマも、沖縄ではおなじみの野菜で、和名はそれぞれ、ヘチマ、スイゼンジナである。台湾の市場でも手に入る食材である。

市場で買い物
台湾に居る時間が長くなれば、台湾の人と接することが増え、ことばもうまくしゃべれるようになる。これは、人によっては真実かもしれない。スマホのアプリを使いこなせるようになれば、ひとこともことばを発することなく、目的地に行けるようになるので、ことばがうまいかどうかは問題ではない。これも、ある意味では真実だ。
しかし、たとえば、土地の人たちが集まる市場で買い物をするとなると、そういうわけにはいかない。買い物をする人たちの風景は、ただただ雑多に見えてしまうのだが、何度も通ううちに、そこにはちゃんと秩序やルールがあることがわかってくる。そうはいっても、買い物をする人たちの風景は、聞き慣れない言葉で充満している。こちらからことばを吸収していかないかぎり、ほしいものは手に入らない。片言でもいいからと、話しかけてみたとしても、相手は流ちょうなネイティブ・ランゲージで返してくるのだから、
「わかりません」「聞き取れません」
と返して、引き下がることになる。こうなることを承知で話しかけるということを繰り返すうちに、稀にコミュニケーションが成り立つことがある。これが「稀」から「ときどき」ぐらいになり、徐々に打率が上がっていくと、生活の中でことばを覚えるということがようやく実感できるようになるのだ。なかなかの遠き道のりである。
話したいことはあるけど・・・
わたし自身、この
「わかりません」
ということばを何度となく聞いてきた。八重山に住む台湾出身の人たちと話していると、このことばを聞かされることが多いのである。私のほうが、深いところまで知ろうとして、つい質問を重ねがちなので、
「わかりません」
ということばを言わせてしまっているという側面は確かにある。自分の来歴を人に説明するのはそうたやすいことではなく、それが、親戚や知人のこととなれば、なおのこと難しい。そう簡単に答えられるものではない。はっきりと説明するのが難しいことを訊かれ、
「わからない」
と言ってしまうのは、ある意味当然である。
そして、より以上に注意しなければならないのは、
「わからない」
ということばには、もうひとつ別の意味があるという点である。コミュニケーションのための言葉がわからないので、どう答えたらいいかわからないという意味である。答えたい内容は、頭の中にある、しかし、それを日本語に翻訳して説明することができないということである。市場で買い物をしようとして、売り手に話しかけてはみたものの、結局コミュニケーションを成り立たせることができず、
「わかりません」
と言うほかないわたしの姿と重なる。意思疎通が難しく、結局、その場を去る・・・
台湾出身一世のことば
かつて、八重山の台湾人は、台湾生まれの一世ばかりだった。今は、一世を親として石垣島など台湾以外の場所で生まれた人やその下の世代が大多数を占める。一世は少数派となった。こうした一世のうち、高齢の人たちは子どものころに十分な教育を受けるチャンスに恵まれなかった場合がある。すると、日本語をほとんど話せないまま石垣島に渡ってくることになる。台湾を日本が統治していたころに生まれたからといって、だれもが日本語を使いこなせるわけではない。私が出会った八重山の台湾人のなかには、私が日本語で話しかけると、
「わからないよ」
と言って申し訳なさそうな顔をする人がいた。この
「わからない」
が意味するのは、事実を知らないということかもしれないし、日本語でどう応じ返したらいいかわからないということかもしれない。ひとくちに
「わからない」
といっても、意味は二通りある。そんなことに、わたしはようやく気付いた。ずいぶんと時間を費やしたものである。まったくうかつなことだ。
八重山の台湾人のある知り合いは、もともと
「わからない」
の連発だったのだが、最近になって、ぽつりぽつりと答えを返してくださるようになった。多少無理をしてでも答えてやってもかまわないと思ってもらえたのだろうか。というのは、わたしの勝手な思い込みだ。ちょっとしたポジティブ・シンキングだが、わたし自身の厚かましさはもちろん自覚している。


