11.14
影絵芝居「鯨生」/与那国と台湾・花蓮を知り直す
「鯨生」というタイトルの影絵芝居がある。「鯨生」と書いて「げいお」と読む。オリジナルは台湾花蓮で2011年に制作され、2022年から日本向けに脚本を翻訳したバージョンがリリースされている。
竜宮城の老女
お芝居のとば口を少しだけ覗いてみよう。
老女が「浜辺の歌」のメロディを口ずさんでいる。少し調子が外れている。すると、通りすがりの男が話しかけてきた。
「おばあちゃん!なんで一人でお歌を歌っているの?」
「クジラがうちに連れて帰ってくれるのを待っているんだよ」
老女は答える。男はなおも不思議そうだ--。
お芝居のタイトルになっている「鯨生」とは、この老女の名前でもある。神の娘として竜宮城で生まれたというプロフィールの持ち主。竜宮城は今は滅び、「海底遺跡」となっているという設定である。沖縄県与那国島沖には、実際に「海底遺跡」と呼ばれる場所があり、ダイビングスポットになっている。「鯨生」は、虚実ないまぜの設定で台湾と与那国のつながりを描いたファンタジックな影絵芝居なのだ。
老女と男の問答はさらに続く。
ドゥナンチマ=与那国島
男「おばあちゃんのおうちはどこにあるの?」
老女「あっちだよ」
しかし、男はやはり不思議でならない。
男「あっち?あっちは海だよ」
老女「あっちはドゥナンチマ」
男「ドゥ・ナ・ン・チ・マ。それ何?」
老女「ドゥナンチマ。与那国島だよ」
男「ヨナジマ。じゃあ、おばあちゃんは外人(がいじん)さんだね」
問答はこうして続き、老女は言った。自分自身に言い聞かせているみたいなニュアンスだ。
「うーん、そうとも言うけど、そうじゃないとも言えるね。私はずっとここ花蓮で暮らしてきたからね」・・・
「花蓮」というのは、台湾の東海岸に位置する都市の名前だ。このお芝居のストーリーが展開する主要な舞台のひとつである。
「外人」
与那国島と海を挟んで西隣に台湾があるということは、知識として私の頭にも入っている。では、台湾の東海岸で海のほうを眺め、この向こうには与那国島が浮かんでいるんだと実感を込めてすんなりと受け止められるだろうか。私は、そうなるまでけっこうな時間がかかった。そこに海が広がっていると、先へは進めない行き止まりのような思いには、今もとらわれる。だから、帰りたい家が海の向こうにあると答える老女の言葉に「?」な思いをいだいてしまう男の気持ちが、私にはよくわかる。
やりとりのなかに登場する「ドゥナンチマ」「与那国島」という言葉も重要なフレーズだ。「ドゥナンチマ」は、与那国島で話されるオリジナルな言葉で、「与那国島」を意味する。
老女の言葉を素直に聞けば、「ドゥナンチマ=与那国島」が老女のふるさとだと理解することができるだろう。台湾の東海岸に住んでいるであろう男が、老女のことを「外人(がいじん)」と呼んだのはある意味で当然のことといえる。
サキザヤ族と与那国島の漁師
しかし、物語はこれとは異なる解釈に沿って進んでいく。その土台となっているのは、かつて、与那国島と台湾の間で人が盛んに行き来していたという史実である。老女は、台湾の原住民族(台湾での「先住民族」に対する呼び名)のひとつ、サキザヤ族の女性を母親として、また、漁師だった与那国島出身の男性を父親として成長してきた人物として描かれる。
海の底で生まれた神の娘が、陸に上がり、人間の両親のもとで成長するのは、ファンタジーゆえのイマジネーションだ。鯨生は、まだ竜宮城で暮らしていたころ、人として暮らしたいと望み、7年に限って現世で暮らすことを許される。しかし、いざ人として暮らし始めてみると、竜宮城時代のことは徐々に意識の後景へと遠のいていく。7年の期限が迫り、竜宮城からやってきた遣いに急かされると、鯨生はだだをこねるのだ。
「あたしは、父さんと母さんとずっと一緒にいるの」・・・
東盛あいか登場
私がこの作品を見たのは、花蓮市で2025年10月19日に行われた公演である。日本で公演が行われていることはSNSなどで見かけていて、「八重山台湾ニスト(Yaeyama-Taiwanist)」の私としては見ないわけにはいかないと思っていた。しかし、なかなかチャンスが巡ってこなかった。そこへ与那国島出身の東盛あいかさんから連絡があり、公演日程を伝えてくれたのである。「鯨生」の与那国語バージョンでは、東盛さんが主役の「鯨生」の影絵を担当している。
東盛さんといえば、与那国島の言葉をふんだんに使った映画「ばちらぬん」で監督・主演を務め、2021年の第43回ぴあフィルムフェスティバルPFFアワードでグランプリを受賞した人。映画監督や俳優、沖縄の俳優三人によるユニット「あてのない月桃(サンニン)」など幅広く活動するだけでなく、与那国語によるラップをリリースする。ローカルな言葉に関心を寄せる人たちの間でも有名な人だ。ちなみに、「ばちらぬん」は与那国の言葉で「忘れない」という意味である。
「海続き」だが・・・

台湾と与那国は近い。与那国町と花蓮市との間では1982年に姉妹都市の盟約が結ばれている。この写真は、15周年の1997年に与那国町の一行が花蓮で歓迎を受けたときの様子である。
与那国町役場では台湾との最短距離を111キロとしているが、海岸線ぎりぎりのところから計測すれば、これより近い場所も確認されている。
つまり、近いのである。
などと強調すると、長崎の対馬と韓国の釜山は50キロほどで、与那国~台湾間よりずっと近いと言い出す人が出るに違いない。外国がすぐそばにあると言ったって、それほどのもんじゃない、と。
確かにそうだし、張り合うつもりもない。勝負事より、与那国と対馬に共通点があるということを知っておいたほうが、友好的じゃないかと思う。
対馬では、釜山との近さを説明するときに九州本土との距離と対比させながらプサンのほうがずっと近いという説明がなされる。国内の大都市よりも外国のほうが近いというロジックだ。一方の与那国も、沖縄県庁がある那覇市との距離と対比させながら、台湾との近さが説明される。思考の方法は変わらない。
ただし、ここは真摯に、決定的な違いがあることも認めておこう。こちらからあちらへひょいっと渡ることができるか、である。対馬から釜山へは直接行けるが、与那国から台湾へ直接行くことはできない。「陸続き」ならぬ「海続き」の関係は、与那国と台湾では実感することが難しいのだ。
丸1日のロス
花蓮市で「鯨生」の公演が行われた直後、与那国島の小学生が花蓮を訪問して地元の小学生と交流するプログラムが行われているが、その際、小学生がどのように台湾にやってきたのかを見てみると、地理的に近いにもかかわらず、時間的には遠回りしなければならない関係にあることがわかる。
一行の旅程は次のようなものであった。
まず、与那国島を出発したあと、那覇に向かう。そこで国際線の台湾桃園行きに乗り換えてから台湾入りするのである。目的地の花蓮まではさらに列車やバスを乗り継ぐ。復路も同じようなもので、ともに那覇で1泊し、所要29時間半と26時間の大旅行だった。与那国島との間には現在定期航路がないため、時間的にどれほどのロスが生じているかを算出することは難しいが、2023年7月に運航したチャーター便は、台湾東部の蘇澳と与那国島との間を2時間で航行しており、これを基準にすれば、計算上はほぼ丸1日余計にかかっていたことになる。
「ターン・バガラヌ・ムヌガタ」
「鯨生」は2011年に、台湾の作家、林孟寰氏がアーティストレジデントとして台湾花蓮市に滞在していたころに書きあげた作品である。日本では、演出家の山﨑理恵子氏が2022年から公演してきた。脚本はこれまでに日本語、与那国語、サキザヤ語に翻訳され、公演先や観衆に合わせて演じる言葉を切り替えてきた。俳優陣らスタッフは、同じ物語でありながら、何種類ものせりふで稽古しなければならない。なんという苦労だろう。
私が見にいった公演は、日本語メインのバージョンで、与那国語が時折登場するものだった。
東盛さんが「鯨生」の影絵人形を扱いながら、
「ドゥナンチマ」
と言うと、もうひとりの俳優、久保恒雄さんが
「与那国島。日本の一番西にある島」
といった具合に日本語のせりふを続けていく。逆に、日本語のあとに与那国語が続く場合もある。
久保「だれも知らない物語」
東盛「ターン・バガラヌ・ムヌガタ」
といった具合である。
これに加えて、スクリーンの脇には中国語の字幕が流れる。計3言語による公演なのである。参観していた台湾人が、声音を工夫しながら中国語の字幕を読み、そばに座っている子どもに聞かせる声も聞こえてきた。なんだろう、まるで絵本の読み聞かせだ。アットホームな雰囲気なのである。
知識をいったん捨てる
与那国島と台湾はかつて海続きの関係だった。与那国島出身の漁師が台湾に足場を築く「鯨生」のストーリー展開は実にリアルで、「海続き」のつながりを知れば知るほど、胸にすとんと落ちるものがあった。原作者の林孟寰は、竜宮城で生まれた「鯨生」のフォルムを人として現世に立ち上がらせることにより、与那国と台湾の間で織り上げられたかつての濃密な関係をファンタジーという舞台に再現したのである。あの日私が体感したアットホームな雰囲気は、影絵芝居という独特の表現方法が醸し出したものであり、ストーリー展開の緻密さあってのものである。
私は、かつての「海続き」の関係が過去のものとなり、当の与那国島の人たちでさえ実感を以って捉え切れなくなっていることに、落ち着かない気持ちになっている。今を生きる島の人たちが、かつて島の人たちが積み重ねてきたものを、いとも簡単に捨ててしまったと言いたいわけではない。そこにあるのが当たり前だと思っているからこそ、失われていることに気付かず、知らぬ間に手放してしまっているのではないか。
「鯨生」という名の老女のことを「外人」だと思い込んだ男を、私は嗤うことはできない。与那国島にいるからといって台湾とのつながりを知ることができるわけではないのだ。与那国島と台湾、与那国島を含む八重山地方と台湾。そこに深いつながりがあることは、史実としては明々白々だ。しかし、そんな知識はいったん脇に置き、まったく知らないものとして発見し直すべきときに来ている。
「私は台湾の老女を知らない」
知っているものと思い込まず、知らないというところから始めてみるべき時期に来ているのではないか。「鯨生」はちょうどそのようなタイミングで姿を現した。


