2025
10.09

台湾語が落ち着かない

アイデンティティ, 八重山, 八重山の台湾人, 台湾, 土地公祭, 沖縄

わかってはいるが

 台湾出身の知人たちが台湾のテレビ局のインタビューを受けていた。しかも、答える言葉は台湾語である。私はその姿を見ていて、どういうわけだか落ち着かない気持ちになった。この人たちとは、もう相当長い付き合いをさせもらっている。だから、この人たちが台湾語を話せるという事実はよくわかっていることなのに。

 この落ち着かなさはなんなんだろうか。

 確かに、私は普段、石垣島でこの人たちと日本語で話している。台湾語ではない。そのギャップが違和感の源なのだろうか。実に奇妙な感覚だった。

土地公祭にて

 2025年10月6日、石垣島で台湾系の人たちのまつり「土地公祭」が開かれた。これに合わせて、台湾のテレビ局が石垣島入りし、台湾出身の人たちにインタビューした。台湾語チャンネルの番組制作が目的である。

 台湾語でインタビューに答えていたのは例えば次のような人たちである。

  • 配偶者とともにお菓子屋さんを営んでいた女性。
  • コンビニで働く女性。
  • 台湾料理店を営んでいた女性。
  • 青果物卸を営む男性。

 私がこの人たちと知り合ったのは、八重山に暮らす台湾出身者のことを取材する目的があったからだった。ただし、これはきっかけにすぎない。かれこれ、もう20年くらいお付き合いをさせていただいているので、今となっては、出身がどこかという点はそれほど重要ではなくなっている。私が石垣島で暮らしていたころは、ふらふらと街を歩いているときに顔を合わせることもあったし、台湾とは関係のない、たとえば商売がらみの会合で姿を見かけることもあった。「台湾」に向ける意識は徐々に淡くなっている。

「台湾」が意識の隅から

 そこへもってきて、今回のインタビューである。この人たちが台湾のテレビ局からインタビューを受け、オール台湾語で話している。その姿をすぐそばで見ている私。「台湾出身」というワードは、物置の隅に仕舞われていたようになっていたのに、意識の影から久々に表舞台に顔を出してきたみたいな気分だった。なんでもかんでも「台湾出身だから」と理由付けしてしまうような浅はかさは、さすがに今の私にはない。「台湾」というのは、その人が持っているたくさんの要素のひとつだ。絶対的な何かではない。にもかかわらず、そして、そうであればこそ、私は面食らってしまったようだ。台湾のテレビ局、台湾語・・・そこに私は「台湾」の存在を突きつけられた。「台湾」ばかりがこの人の修飾語ではないとわかってはいるのだけれど。

 かく言う私は、縁もゆかりもない石垣島で働き、縁もゆかりもない台湾で日々を過ごしている。それでも、石垣島の台湾出身の人たちは、それが理由に区別をしたりすることはない。今年の土地公祭も、とがめだてすることなどなく、いつものように私を出入りさせてくれた。当初は、そして、今も、私のなかにいろいろなものを見ているだろうに。かなり奇妙な何かも含めて。

コメントは利用できません