2023
04.15

半分だけ宙に浮く家

台湾

台中の吊脚楼

39戸の吊脚楼があった場所に建つ「緑川水文化・環境教育館」。ここにあった吊脚楼は2010年に撤去され、台中市内から吊脚楼はすべて消滅した。上部に見えるのは鉄道の高架=2023年3月6日

 

 川沿いの遊歩道がすっきりと整備されているのに、そこにある一軒だけは時代がかったいでたちのまま、ぽつんと取り残されていた。川の上に尻を半分だけ浮かせ、突っかえ棒をしてバランスを保っている。「緑川水文化・環境教育館」という看板が掛かっていなければ、設計ミスでこうなってしまったかのようだ。

 「吊脚楼」と呼ばれるこの構造の建物は、2010年10月まではこの一帯に群れになって建ち、浮いていた。それが台中周辺の鉄道を高架にするプロジェクトに伴って取り壊され、すべて姿を消した。「緑川水文化・環境教育館」は、吊脚楼の時代背景をこの場所に留めようと、モニュメント的に造られたものである。

都市の発展を反映

 台中駅は、日本統治期に作られた豪壮な駅舎が今も残されている。そうでない側に「緑川水文化・環境教育館」がある。緑川という、台中市民にはおなじみの川のほとりだ。

 第二次世界大戦が終わると、台湾は日本に代わって中華民国が統治することになり、数多くの兵士や民間人が大陸から台湾に流れ込んできた。同じころ、台湾では、働き口を求めて農村を出ていく人が相次いだ。都市は住宅が不足することになる。台中では、川の上に床を張り出させて住処にする人がいた。

 それが台中の「吊脚楼」だ。

 同じような構造の建物は各地でみられるそうだが、台中のこの場所、つまり、台中駅の南側に位置する緑川沿いのエリアは、そこが「民生路26巷」という住所だったことから、「民生26」と名付けられている。「民生26」は狭義には、吊脚楼の建物そのものを指すが、より広い解釈としては次のような指摘が参考になる。「独特の建築構造は、戦後初期の台湾社会における都市の発展の様式を反映している」(林:2010 20)というのだ。

風景を切り取る

緑川(左下)の左側に建つのが吊脚楼=2007年5月25日撮影

画面右側に、吊脚楼が見える=2007年5月25日撮影

 

 2007年5月25日、私はこの場所を訪問している。そのときの写真を見ると、当時の私が吊脚楼のことなどまるで眼中になかったことがよくわかる。「民生26」の対岸には、日本統治期の建物が少なからず残っており、一部は戦時中に沖縄の人たちが疎開していたこともあると聞かされ、私はこの点に関心を持って訪問していたのだった。

 だから、被写体のメインは日本統治期の建物であり、吊脚楼は長方形の画面のなかで斜めに歪んでみえる。

 吊脚楼は、木材を多用し、寄せ集めの材料を使っているので、相応の時間が経過すれば、どんなに丁寧に手入れしても持たせるのは容易ではない。都市の新陳代謝に従うしかない。それでもなお、たった一棟の吊脚楼を残し、かつての川べりの風景を切り取っておくところが心憎い。こうした工夫があって、日本統治期、台湾の戦後、これからの社会というひと連なりの流れに想像力を働かせることができる。日本時代のことに気を取られ、吊脚楼をまともに扱おうとしなかった私には、救いとなる手立てだ。

(参考文献)

林良哲「民生路吊脚楼 消逝中的城市景象」、台中市立文化中心『大墩文化』2010年62号、台中市、19-21ページ

曾培育「緑川吊脚楼的系列図像創作紀実―「城市辺縁」絵画与視覚設計理念」、2013年、視伝系創研教学成果研討会発表原稿

<トップ画像の説明>

 台中駅南側の緑川周辺の様子。手前左にあるのが吊脚楼をイメージした「緑川水文化・環境教育館」。中央に日本統治期の建物があり、その右では建築作業が行われている。この場所にもかつては日本風の家屋があった=2023年3月6日

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