2022
07.17

台湾の砂丘を訪ねてみたら・・・軍事演習準備中

台湾

台湾で初めて砂丘を見たのは10年余り前のことである。台湾島南東部の屏東県満洲郷に八揺湾という海岸があり、この場所に沖縄の船が漂着した事故が、アジアの歴史を衝き動かすほどのインパクトを与えたということで、見学に行ったのである。

八揺湾の砂丘。1871年に沖縄の人々が漂着した場所=2011年11月25日

真っ青な海を見ながら歩く

寒々として荒涼とした風景が忘れられなくて、2022年6月下旬にあらためて行ってみることにした。10キロほど離れた屏東県牡丹郷旭海を起点して、ほぼ真夏の晴天の下をてくてく歩いてたどる。左側は常に真っ青な海が広がり、猛烈な暑さが気持ちの良いミニ旅行だ。台湾島の中で、とりわけ開発が進んでいない地域であり、附近が軍の訓練場になっているということもあるのだろう。

八揺湾の砂丘で発生した遭難事件は、1871~74年の牡丹社事件とかかわりがある。この場所に沖縄の船が漂着し、乗組員の一部が現地の原住民族に殺害されたことを発端として、日本は「台湾出兵」を行うことになる。10年余り前にこの場所を訪れたのは、牡丹社事件のシンポジウムが現地で開かれるのに合わせたものだったが、大型バスを使って団体で訪れたため、ゆっくりと見て歩くことはできなかった。

寂しげだったはずだが

それで、あらためてひとりで行ってみることにしたのが、いかにも寂しげだったあのときとは、たたずまいはまったく違っていた。砂丘を控える村には軍人たち、駐車場には軍用車両。そして、砂丘では軍事演習が行われようとしていた。私は、演習が始まる前に路線バスで次の場所へ向かわなければならず、演習そのものは見ていないが、翌日の台湾紙によると、この演習は「神弓操演」と呼ばれ、携帯式防空ミサイルなどが使用された。

台湾軍の演習「神弓操演」が始まるのを待つ八揺湾の砂丘=屏東県満洲郷、2022年6月20日

「神弓操演」の実施に当たり、私が興味を持ったのは、附近の地域の反応である。演習前日の台湾紙「自由時報」は地域面で、演習に関する情報提供のあり方をめぐって抗議があったことを伝えている。牡丹郷高士という先住民地域の人たちが、演習に対する事前説明が十分なされなかったと訴えているのだ。その記事によれば、高士の人々は「(演習地の)周辺の伝統的な領域は高士のものである」と訴えていた。

軍事演習の事前告知をめぐる抗議を伝える記事(台湾紙「自由時報」)

news.ltn.com.tw

さかのぼって、牡丹社事件にたちかえると、このときに八揺湾に漂着した沖縄の人たちはパイワン族の村に入り込んで助けられ、そこから黙って去ったことを機に殺害されている。パイワン族の立場からすると、黙って去るという行為は許されざることであり、そのような行為をする者は殺されてもやむを得ないということになり、牡丹社事件へとつながっていた。当時はこのようなルールにのっとり、自分たちの領域、つまり伝統的な領域を守っていたのである。

(このような行為を野蛮とみるかどうかという点と、先住民族が伝統的な方法で自分たちと領域を統治するという点を照らし合わせ、どちらが是か非かを現在の価値観に基づいて論じることは非常に難しいと筆者は考えている)

伝統的な領域

軍事演習に対する抗議を伝えるニュースを読むと、伝統的な領域という意識は今も生きていることがわかる。殺傷行為が今も行われているということでは決してない。演習に伴う騒音が、子どもたちの教育に影響を及ぼしかねないと心配しているのである。「自由時報」に対して、地域の代表者は「国防に反対はしないが、地域を守る必要もある」と述べたという。

アルク父子の像。台湾出兵で日本軍に抵抗した人々のリーダーは地域の英雄だ=2022年5月20日、屏東県牡丹郷

こうした抗議が行われた背景や、こうした抗議がニュースとして報じられた背景を考えるとき、先住民族が自らの立場を表明しやすくなってきていること、先住民族の立場は尊重されるべきだという考え方が広まりつつあることを気付かせる。牡丹社事件をめぐっては、2000年代以降、ようやく先住民族の立場が積極的に表明されるようになり、それまでのように、一方的に加害者・殺害者と位置付けられるだけではなくなってきた。

私は、徒歩の旅が好きで、荒涼とした場所は、とぼとぼと寂しい気持ちに浸りながら歩きたいと思う性質(たち)である。その意味で、八揺湾で神弓操演が行われていたのは残念でならない。近いうち、寒々とした空気を探しに八揺湾を再訪したいと思う。ただ、牡丹社事件から150年を過ぎてもなお、伝統的な領域という表現が使われていることに深い感慨を呼び起こされ、これはまったく意外な収穫であった。

コメントは利用できません