2026
08.26

池間苗さんは「台湾さがり」を教えてくれた

与那国, 八重山, 台湾, 未分類

 2009年11月25日、与那国島で取材中だった私は、与那国民俗資料館に立ち寄り、郷土史家の池間苗さん(1919年生)のおしゃべりに耳を傾けていました。その折、池間さんは「ストトン節」の替え歌でこんな歌を歌ってくださいました。

「台湾さがり」はだめですよ

時計も持たずに鎖提げ

今は何時(なんじ)になりますか

空を見上げて知らぬ顔

 胸ポケットの辺りからだろうか。台湾から帰ってきた人が、チラリと鎖をのぞかせている。懐中時計を持っているに違いない。時間を尋ねると、しかし、その人は知らん顔をしていて応えない。見掛け倒し。台湾を経験したからといって、大したことないじゃないか・・・

 そんな意味が込められた遊び歌です。

空を見上げて知らぬ顔

 与那国島は、幅100キロほどの海を隔てて台湾と接しています。与那国島の人たちは、日本統治期の台湾に赴き、働いたり、学校に通ったりしたほか、家庭を持ったりすることもありました。このようにして台湾を経験したのち、島に帰ってきたり、一時帰郷したりした人のことを、島では「台湾さがり」と呼んでいたことがあります。

台湾は生活圏

 日本統治期の台湾は、与那国島の人たちには身近な場所でした。漁業を例にとると、漁師は台湾向けに航行しながら魚を捕り、たとえば南方澳(宜蘭県蘇澳鎮)の漁港で水揚げし、氷や水を補給した後、島に戻りながら再び漁をしていたといいます。その船は、台湾との間を行き来する島の人たちを便乗させることがあり、暮らしを支える交通手段としても重宝がられていました。与那国島の人たちは、台湾を生活圏として生きていました。

 池間さんから「台湾さがり」について教わった私は、「台湾さがり」の替え歌がほかにないか探すようになりました。すると、次のような歌詞をメモしている人に出会いました。

台湾さがりはダメですね

道端御立ちで立小便

下でカエルが目を回し

熱い雨だと跳んではねる

 これは池間さんとは別の島出身者が教えてくれたものです。「台湾さがり」をストレートに皮肉っていることはすぐにわかります。

 池間さんは、台湾から帰ってきた年上の女性たちが、化粧を覚え、美しい和装で帰ってきたその姿を覚えているそうです。一方で、その台湾のことをすべての島人が好ましいと思っていたわけではないことを、「台湾さがり」の歌は教えています。島の人たちは、台湾へ行ってきた人たちに対して、さまざまな思いのこもったまなざしを向けていたのです。台湾が近代的で「いいところ」だったとか、日本統治下の台湾で支配する側に立っていい思いをしていたとか、そういったわかりやすいフレーズに結びつけてみても、島の人たちの心情を理解することはできないでしょう。

複雑で、入り組んでいて

 与那国島は台湾に近いところにあります。だから、親しい関係が生まれました。ただ、台湾に対して抱く感情は親しいばかりではありませんでした。こうした複雑な、入り組んだ心持ちをきちんと読み解きなさい―。そんなメッセージが「台湾さがり」には込められています。「台湾さがり」というこの言葉を、私は池間苗さんから教わりました。

taiwanokinawa.hatenablog.com

 ※ 池間苗さんは2026年8月25日に亡くなりました。享年106歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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