2026
08.24

ディアスポラと「個」の歴史

アイデンティティ, 八重山の台湾人

 ディアスポラとコリアン・アーティストをテーマとする展示会が開かれ、そのトークを聞きに行きました。私が取材を続けている八重山と台湾の関係とは、直接結びつかないだろうと考えて臨みましたが、示唆に富む見解を聞くことができました。正史、つまり、その社会がたどってきた道として正当なものとされる歴史をテーマとするやりとりが興味深いものでした。

www.mori.art.museum

 この展示会は「ディアスポラ・メモリー - 境界を越えて生きるコリアン・アーティスト」(森美術館、2026年4月29日から9月23日まで)で、次の3人のアーティストを取り上げています。

クァク・インシク(郭仁植)
▼ソン・ヒョンスク(宋賢淑)
▼アレクサンダー・ウーガイ

 そのトークセッションは2026年8月22日に開かれました。出演者は金惠信(南城美術館館長、沖縄県立芸術大学客員教授)、上田雄三(Gallery Q)、趙純恵(森美術館アソシエイト・キュレーター)-の3氏です。

個人史はすでに一般化されている

 展示会では、アーティストそれぞれがたどってきた道のりを年表で示していましたが、韓国の歴史については掲示されていませんでした。キュレーターの趙氏はトークセッションの中で、検討の結果、掲載を見送ることにしたと説明しました。これについて、金惠信氏は次のように指摘しました。

 金氏はソウル出身で、1958年生まれ。大学3年生のときに光州事件(1980年)があり、大学は閉鎖され、法科専攻の学生が大学に置いてある法律書を取りにいくことだけが許されたそうです。金氏は、こうした事情を知った人から「軍事独裁政権で大変だったでしょ」と言われることがあるとのことで、「個人史はすでに(正史によって)一般化されている」と指摘しました。そのうえで、正史から逃れることができない個人と、ディアスポラとを対照させて、「ディアスポラはたえず個人を呼び出す」と述べました。金氏は自身の体験を織り交ぜながら、正史が与える作用を平易な言葉で説明したことになります。

 正史は、学校やニュースなど生活のあらゆるシチュエーションで参照されますが、これは、ひとつひとつの「個」が束ねられたものだということもでき、また別の視点では、「個」が持つバラエティを押しのけてしまうともいえるでしょう。

 正史が「個」を押しのけようとするとき、その作用を払いのけることがいかに難しいことか。私は八重山と台湾の間で生きた人たちのことを取材していて、たびたびそう感じています。これは私の癖とも大いに関係があります。取材相手の話を聞いているうちに、その「個」を正史の中に位置付けてみたくなってしまうのです。

徹底的に個人史

artexhibition.jp

 展示会で取り上げられたアーティスト3人はいずれも、国との間で固有の距離を抱えてきた人たちですが、キュレーターの趙氏は正史の掲載を見送ったことについて、アレクサンダー・ウーガイに言及しながら、「人生の大半を韓国の外で過ごしているウーガイについて、韓国の歴史を取り上げる意味」を、自らに問うようにしながら指摘しました。また、歴史観の違いにも言及しました。たとえば、1945年8月15日に対する視点は国によって異なります。

 その結果、趙氏の言葉を借りれば、この展示会は「徹底的に個人史にフォーカス」したものとなったのです。

 私のように朝鮮半島のことをよく知らない者には、見慣れない、聞き慣れない固有名詞を展示の中に見つけるたびに、その意味を探り、正史を通じてその位置づけを確かめておきたくなります。しかし、それをいったん脇に置いておいて、アーティストそのものにフォーカスするという、当たり前のことを教えられたような気がしました。取材のとき、相手の話にじっと耳を傾けるのと、本質的には同じことと言えるでしょう。

作品が背負わされるもの

 金氏は沖縄の南城美術館で館長を務め、沖縄県立芸術大学の客員教授でもありますが、この日のトークでは、「ディアスポラ」という言葉が与える意味に触れながら、沖縄のアーティストにも言及しました。金氏は、沖縄のアーティストがときに抱える違和感として「歴史や状況を背負う作品として語られる違和感」を挙げました。アーティストによっては「必ずしても、そうではない(沖縄の歴史や状況を背負っているわけではない)ですよね」という話になることがあるのだそうです。作品について語られることや作品に対する評価はもちろん大事ですが、「ディアスポラ」という語句によって生じる「とりこぼし」にも留意するよう促したのです。

 その作品について語られることと、その作品が伝えていることそのものがありますが、この両者が一致しているとは限りません。専門家による解説となると、つい、力んで耳を傾けてしまいますが、それでもなお、アーティストが込めたものを作品から直に読み取ろうとするずうずうしさがあってもいいということなのでしょう。あらゆるものに過剰なコメントが付くからこそ、すすんでアーティストの内面に近づこうとする、ポジティブなずうずうしさ、です。

正史から離れたところ

 八重山と台湾の関係についていえば、私が取材で出会う人たちや、その体験を手記に残した人たちのなかには、正史や、正史に整然とした態を与える秩序やその源泉となる法とは、離れたところにいたことのある人たちがいます。

 ・通りすがりの畑からやむなく野菜を失敬した人。この人は第二次世界大戦末期、石垣島から台湾に疎開し、公的な支援を断たれたあと、すきっ腹を抱えたまま、妹と二人で台湾をさまよったという人です。
 ・米軍統治下の与那国島で、いわゆる「密貿易」をした人。
 ・台湾から石垣島に引き揚げたあと、台湾に残していた荷物を取りに戻るため、私的に手配した船、つまりヤミ船で台湾に戻った人。

 こうした人たちの経験を、私は、八重山と台湾を結ぶエリアで発生した「当たり前」の現象として位置づけたいと考えています。正史に揺さぶられたとしても、そこに暮らす「個」の人生を構成する欠くべからざるピースとして大切にしたいと思っています。そのように努めることで、八重山と台湾からなるエリア(「境域」と呼んでおきます)が持つ、境域だからこそのオリジナリティを言い表すことができるのではないか。

 ディアスポラをめぐるトークが私に教えてくれたのは、正史をモノサシとするだけでは伝わらない個人史があるということ。八重山と台湾の関係を考えるうえで実に参考になるトークセッションであり、「地方」や「いなか」と呼ばれるエリアの主体性を問う際にも参照することができる意見交換でした。

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