08.09
水運に気付く
阿武隈川へ
沖縄の八重山地方から台湾へ疎開したことがあるという人が宮城県に住んでいることが分かり、初めて訪ねていって取材したのは2025年8月のこと。世間は夏休みのお盆休暇に入っていて、東北新幹線は仙台までの座席が確保できず、福島で在来線に乗り換えるルートで向かうことになった。
せっかくなので、行ったことないルートを探してみることにした。地図を見ていて、興味が湧いたのは阿武隈急行だった。槻木で東北線に接続し、取材先へのアクセスも問題ない。
普段は意識を向けていない場所へ行ってみると、発見がたくさんあるが、もちろん、土地の人には当たり前のことばかり。私がそれまで不勉強だったことから来る、カギかっこ付きの「発見」に出会った。
社会科で習った地名でしかなかった阿武隈川を実際に見ることができたのはまず最初の「発見」。あぶくま駅で下車してみたところ、そこでようやく、2019年の台風19号の被害を受けた場所だということを知った。この時、土地の人は「ここでは、川下りはまだ再開していない。このまま再開されないのではないか」と語っていた。
ネコのお地蔵さん
このときの訪問で気になったのは、観光ポスターだ。ネコを掘ったお地蔵さんが大写しになったそのデザインは、丸森町への訪問を呼びかけるものだった。目を閉じているのか開けているのかわからないような、あの、えも言われぬお地蔵さんの主人が、ネコになっているのである。調べてみると、蚕をネズミから守るため、ネコを大切にしていたことが理由で、ネコがお地蔵さんになったという歴史があった。さらに、ネコに守られながら生み出された絹はというと、阿武隈川の水運を通じて町外の富と交換され、丸森の経済基盤の一端を担った。
丸森のエピソードはネコに留まらず、阿武隈川の水運へとつながっていくのである。

水運と台湾
恥ずかしながら、私の頭の中で、船は海のものだった。船と川がつながり、水運というものを意識するようになったのは、台湾のことを知るようになってからだ。たとえば、観光地としても有名な龍山寺は、淡水溪の水運によって栄えた艋舺/萬華と深くかかわっているし、同じ淡水溪の河畔に位置する商人の街は水運によって物の売り買いを行い、それが迪化街という有名商店街になっていった。
それだけではない。中部の彰化縣北斗鎮に行ったとき、立派な媽祖廟があることに気付き、土地の人に「航海と関係があるのですか?」と尋ねたところ、「一府、二鹿、三艋舺」で知られる三大港湾都市(台南、鹿港、艋舺/萬華)のうち、鹿港が砂の堆積によって港としての用をなさなくなると、北斗に至る水運がこれに代わり、鹿港への物流を担ったというのである。さらに時代をさかのぼれば、麻豆や鹽水といった歴史ある街が成り立っていたのは、倒風內海の一角として人々が集まり、海運と水運をなだらかにつなぐ緩やかな接続ポイントだったからである。
水運は台湾の古い町の成り立ちに深くかかわっている。水運はおそらく、集落の形成と相互に作用を及ぼし合う関係にあり、この点は、台湾に限ったことではないはずだ。
私はネコのお地蔵さんから阿武隈川の水運にたどり着き、水運が台湾社会に与えたのと同じような影響を丸森町に感じ取った。
2026年8月6日、宮城県の取材先へあらためてうかがうことになった。今度は事前に計画を練り、丸森町をゆっくり歩けるように日程を組んで訪問した。
福島から阿武隈急行の槻木行きに乗り込んだ。兜駅に近づく当たりから車窓に阿武隈川が現れ、列車は阿武隈川を左に見ながら進んだ後、立派な鉄橋を渡って阿武隈川を越え、今度は右に阿武隈川を見るようになると、丸森駅だった。川筋が弧を描き、淵が生じたところに平らな場所が広がり、そこに人々が集まってきたということであろう。
丸森駅には、うまい具合にネコのお地蔵さんに関する本1があったので、ネコのお地蔵さんの位置を一通りチェックし、少し離れたところにある福一満虚空蔵堂のお地蔵さんを訪問することにした。
3キロ近くの道のりを歩く。阿武隈川を渡り、河岸段丘のうえに土地が開けれていることを実感する。町役場などがある中心市街地は平らな土地に位置し、そこから少し上がった丘のほうに、ネコのお地蔵さまが鎮座するお堂が建立されている。お堂から見下ろすと、阿武隈川沿いにできた市街地が見えるという位置関係である。
集落の中心地には「齋理屋敷」がある。江戸後期から七代続いた豪商「齋藤屋」のお屋敷が町に寄贈され、資料館として公開されているスポットである。
城下町として発達してきた丸森は、阿武隈川から恩恵を受け取り、また、被害を受けてもきた。寛政11(1799)年9月の阿武隈川水害は、集落の位置を変更する「町場替」につながり、水運と結び付いた新たな「町場」が出現するに至った。ここに立地したのが「齋藤屋」である。齋藤屋の当主をめぐっては、「お金をどう使おうか迷った」というほどのエピソードが語り継がれる。阿武隈川は水害によって新たな集落を生み出し、その水運で富をもたらしていた。

台湾で水運を知り、ネコのお地蔵さんに触発されて阿武隈川にたどり着いた。ついでにいえば、台湾で盛んに行われている歴史的・伝統的なサイトのリノベーションは、広い意味では台湾に固有のものではなく、丸森町の齋理屋敷もまた、リノベ施設のひとつである。その場所にしかないものに注目しているつもりでも、台湾的な補助線を当ててみると、街も建物も意外と普遍的な存在に見えてくる。
●丸森町での取材と本ブログを執筆・公開においては、サポーターのみなさんからのご支援が活かされています。
- 丸森町教育委員会編『丸森町の文化財 第32集 丸森の猫神さま』丸森町教育委員会、2012年3月。 ↩︎


