07.07
千里眼と順風耳
始発のバス停から終点まで乗り通して、乗客はずっとわたし1人。着いたところは雲林県の山に近い村である。廟がにぎわっていた。隣県から媽祖の信徒一行が約30キロ離れたこの村までお詣りに来ていたのである。
媽祖の参謀に遭遇する
媽祖は台湾のあちこちにあり、信仰している人がいかに多いかがわかるが、私もこの神様は好きだ。惹かれるのは、航海安全を約束する穏やかな表情ばかりではない。水戸黄門の助さん格さんのように、媽祖の両脇を固める千里眼と順風耳の形相がいい。
当然のことながら、この日出会った一行にも千里眼と順風耳が付き従っていた。ひときわ背が高く、遠くからでもよく目立つカラーリング。千里の先まで見通し、風を読み分ける家来がいてこその航海安全である。鬼みたいな顔をした参謀たち。

私はもともとが出不精である。山麓の村にある廟で神事があるらしいという情報を聞きつけて、わざわざここへやってきたわけではない。
薪拾いの河原を探す
80年余り前、疎開で石垣島から台湾に来たことがある人から話を聞いていたところ、終戦のときにその人がいた場所はどうやらこの廟のある村の近くらしいと見立てて、ここへやってきたのである。この推測が正しければ、この廟のある村のそばを流れる川の河原で、その人は薪を拾ったことになる。
こういうことはよくある。
つまり、取材で見知らぬ町を訪れたり、買い物か何かで街に出たところ、思いがけず、廟のお祭りに遭遇し、神々の練り歩きが通り過ぎていくのを目にすることになった・・・ということは珍しいことではない。疎開の取材についていえば、観光客はもちろん、台湾に興味があってしょっちゅう台湾に来ているという人でも行かないような場所に足を運ぶことが多い。そこで、予期せぬ形で廟のにぎわいに触れることがあるのだ。
薪拾いをした河原がどこなのか、私はまだ確信が持てない。この村にもまた来ることになるだろう。また次も廟でお祭りをやっていたらいいなと思わないでもないが、期待せずに来たほうが、おこぼれに与かりやすいかもしれない。
きょうのことはきょうのこと。
気持ちを落ち着けておこうと思う。
(この取材では、支援者のみなさまから頂戴したご寄付を使わせていただきました。ありがとうございました)


