05.20
relationship 境域のつながり
台湾宜蘭県の蘇澳鎮には、日本統治期に造られた南方澳漁港があり、台湾の水産拠点とひとつとなっています。築港から百周年となった2023年につくられた記念広場で、蘇澳鎮の小学生と石垣島からやってきた小学生が活動プログラムに参加しました。2026年5月18日のことです。国境とか県境とかといった囲い込み方からは見えにくい歴史的なつながり――わたしはこれを「境域」と呼んでいます――が今につながり、形を変えながら人と人を結び付けていることを感じさせるシーンでした。

石垣市と蘇澳鎮は1995年、姉妹都市の盟約を結びました。近年は、小中学生が互いに訪問し合い、ホームステイをして現地の暮らしを体験する教育プログラムが行われています。2026年は、石垣島の小中学生29人が5月16日から20日まで蘇澳鎮に滞在し、小中合わせて7つの学校に通ったり、特別なプログラムに参加したりしました。上記の活動プログラムはこのなかで行われたものです。
百周年の記念広場で行われたのは、南方澳の恒例イベントなっている「サバ祭り」のミニ版を体験してみるというものでした。サバ祭りでは例年、サバなどのグルメコーナーや体験型イベントが用意されるほか、港一帯をパレードが練り歩きます。子どもたちは、そろいのはっぴを着てパレードごっこを楽しんだのです。大漁旗のような旗を掲げたり、サバの形をしたかぶりものをかぶったりしながら、短い距離ですが、岸壁で練り歩きのまねをしました。そのゴールは、百周年記念広場でした。
サバはもともと、日本統治期には経済価値の高い魚を呼び寄せるための撒き餌として使われていたそうです。それが、冷凍冷蔵技術の発達により、現在では、台湾のほかの地域で水揚げされたサバが南方澳に運ばれて加工されるなど、南方澳は水揚げと加工の拠点として成長してきました。日本統治期に漁師が漁獲を競ったカジキは今も水揚げがありますが、港町をイメージする代名詞はサバに譲ったといったところでしょう。
南方澳漁港の歴史は、確かに日本統治期から続いています。しかし、そこで行われている水産業は徐々に姿を変え、主役として南方澳を切り盛りする台湾の水産関係者によって時代に適応してきたことになります。「境域」もやはり変容しています。かつては人々がリアルに行き来するためのフィールドだったものが、今は姉妹都市関係という自治体間のつながりが土台となり、今回は小学生が交流の主役を務めたというわけです。
正確に言うと、南方澳と歴史的につながりが深いのは与那国島です。南方澳と与那国島が境域のコアとなっています。私は、ここから同心円が広がるようなイメージで、境域が及ぶ範囲を考えています。石垣島は、コアから描いた輪をちょっとだけ広げると、到達できる場所です。実際に地図を見てもらえるとわかると思いますが、那覇など沖縄本島の主要部ははるか遠くに位置し、同心円はなかなか引っかかりません。境域は、沖縄や琉球といったエリア分けとは異なっているのです。
今回の交流では、教育に携わるおとなたちの意見交換もありました。蘇澳側では、少子化に対応するため、蘇澳鎮に隣接する自治たちの学校にも協力を得て、交流を続けるための体制を維持しているとのことでした。石垣市側は、傷病やホームシックへの対応の難しさから、ホームステイの交流を中学生だけにすることも検討したとのことですが、蘇澳側が小学生と中学生が参加するスタイルを強く要望し、この形を変えずに交流を続ける方向性が確認されました。もはや、南方澳漁港がいつできたかとはあまり関係なく、交流そのものが自走していることになりますが、とりあえず「境域」というコンセプトを押さえておけば、いちいち歴史をひもとくことがなく、ベースとなる「いれもの」は用意できるのです。


