2026
05.15

石垣~台湾航路が復活

八重山, 台湾, 沖縄

 2026年5月13日、石垣島と基隆を結ぶ船の運航について発表があった。豪華客船のクルーズ船ではなく、定期航路として台湾との間を結ぶ船が石垣島を発着するのは、2008年6月3日に有村産業のフェリー「飛龍」を最後に途絶えていたため、順調にいけば、17年11カ月26日ぶりに台湾向けの船が戻ってくることになる。

 では、八重山と台湾の間で相互往来が再開することで、復活するものとは何か。何かが復活するといえるのか。この問いを考えるときに、ヒントになるのが、八重山と台湾を結ぶ「境域」である。国境線で区切られたエリア分けとは別の、ゆるやかにつながる地域のことである。

 石垣島と台湾を結ぶ航路のことを頭に思い浮かべるとき、今も記憶している人が多いのは「飛龍」や「飛龍21」といったフェリーのことだろう。こうした船は、境域的な船だったといえる。それは、この船の主人公が誰だったかを考えるとわかりやすい。

「飛龍」や「飛龍21」には、石垣島の台湾出身者などが乗り込み、台湾で衣類や雑貨などを仕入れて島に戻り、販売するという商いをしていた。いわゆる「担ぎ屋さん」の活躍である。境域を生きる人たちが日常的にこの航路を利用し、年末年始や夏休みに大型のツアーが台湾を訪れるというひとつのリズムのなかで、石垣島と基隆・高雄を結ぶ台湾航路は走り続けてきた。

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 石垣島と台湾を結ぶ航路は、戦前は複数のルートがあった。特に取り上げておきたいのは、台湾と与那国島を結んでいた与那国島の漁音丸が、航路を石垣島まで伸ばし、石垣~与那国島祖納~与那国島久部良~基隆というルートで運航していたということである。このルートは、日本統治期の台湾に生まれた経済的なボリュームを誘因としており、たとえば、与那国島で養ったブタが台湾向けに出荷されたり、出稼ぎのために島を離れる人たちなどが乗ったりしていた。本土から琉球列島を経て台湾に至る内台航路とは性格を異にしており、台湾を拠点として周辺離島に航路が発達していたのである。

 戦後はどうか。

 台湾と八重山の間では、さまざまな理由で密航が行われた。プライベートな貿易や漁業を目的に船を駆る人もいたし、台湾の白色テロから逃れる人が密かに与那国島に渡ったケースさえあった。強圧的な政治を行う人々ににらまれた人たちに逃げ道を用意していたのである。さまざまな事情を抱えた人が命がけの航海をしていた(「命がけ」というのは大げさに言っているのではなく、本当の意味で命をかけていた)。

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 「境域」がその機能を変容させながら航路を提供していたことがわかるだろう。境域的な航路が続けられてきたのと相前後して、続いて、沖縄主導、あるいは、本土主導の航路が戦後の海の道をつないでいく。

 象徴的だったのは、1957年6月9日、沖縄通運が金十丸(580トン)を沖縄~台湾航路に就航させたことだ。石垣島には12日未明に到着し、その日のうちに基隆向けに出港した。定期航路としては、石垣~台湾間の航路はこの時に回復したものと考えられる。

 2026年5月29日に石垣島に入る予定の「やいま丸」は、境域的な海のつながりを復活させることになるのか。境域は変容していく。その機能も変わっていく。「飛龍」や「飛龍21」が運航していたのは、台湾の人々が八重山観光のサービス消費者として定着する途上のころだった。一方の「やいま丸」では台湾からの観光客がユーザーとして想定されるだろう。八重山の人たちが台湾に向けるまなざしも刷新され、多様化している。台湾、八重山の双方が大きく変化するなかで、国境や都道府県境といった教科書に載っている地図のようなエリア分けではなく、境域的な関係が新たに「再」構築されるのか。

 航路の回復は何かを回復させることになるのか。八重山と台湾のつながりを問い直すタイミングになるかもしれない。

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