06.11
妻沼線を思う
妻沼線を思う
大泉町が外国人比率の高さで日本有数の地域だということはすでに書いた。この町で外国人がどのように暮らしているのか知りたくて、上毛新聞社が自社の連載企画を単行本にまとめた「サンバの町から 外国人と共に生きる」(上毛新聞社/1997年3月)を読みたいと思い、埼玉県内図書館横断検索で調べてみると、熊谷市立妻沼図書館だけが収蔵していた。
妻沼には、小学6年生か中学生だったころに行ったことがある。40年余り前のことである。目的は、妻沼線(東武鉄道熊谷線)に乗り、写真を撮ること。この時に撮影したカラーのネガフィルムはかなり劣化しているが、スキャンしてみると、当時の様子はそれなりに記録されていた。

妻沼位置図
妻沼図書館と同じ敷地内にある熊谷市立妻沼展示館には、妻沼線の車両が保存されている。窓口で申し出ると、カギを開けて見学の便を計ってはかってくださった。展示室では、1983年5月31日に妻沼線が廃止された時のヘッドマークや切符などの資料、ジオラマを見ることができた。
大泉へのアクセス
「妻沼町誌」によると、妻沼線の開通は、群馬県大泉町と深くかかわっている。大泉町は、1957年に邑楽郡の大川村と小泉町が合併して成立した自治体だが、旧小泉町には中島飛行場の工場があり、戦線の拡大に応じて、この工場は「軍需産業の格として一躍脚光をあびる」ことになり、「軍の要望に応えて、東武鉄道株式会社が、群馬県邑楽郡大川村と、埼玉県熊谷市と結ぶ延長13キロの鉄道敷設」を計画したというのである(「町誌」647ページ)。この整備事業は1942年に始まり、第1期工事では1943年11月に熊谷~妻沼間の10.1キロが開通した(「町誌」647~648ページ)。妻沼線は大泉と熊谷を結ぶ鉄道の一部として開通していたのである。
実家をさいたま市に持つ私にとって、群馬県は遠い存在である。埼玉県は県境を流れる川で隣の都県とつながってはいる。しかし、荒川を越えて東京へ出る機会はあっても、利根川を渡って群馬や茨城に行く機会はそう多くはない。
その群馬にある大泉町のことを知ろうとして、私は妻沼のことを思い出し、妻沼線の存在に大泉町へのアクセスを気付かされた。
利根川を越える
妻沼図書館からの帰り道、私は近くのバス停から路線バスに乗った。バスはすぐに刀水橋に差し掛かり、利根川とその河川敷の風景が左右に広がった。利根川は大河だが、長さ810メートルの刀水橋を渡り切るのにさほど時間は要らない。群馬県側に入ると、そこは大泉町である。妻沼の図書館で「サンバの町」が読めるのも納得の近さだ。ボーダーを越えたところにたくさんの外国人が暮らす街がある。
〈参考資料〉
●ウエブサイト
熊谷市立江南文化財センター「熊谷デジタルミュージアム」
●文献
「妻沼町誌」妻沼町誌編纂委員会編、妻沼町役場、1977年
●展示資料
熊谷市立妻沼展示館
【トップ画像の説明】妻沼駅=1980年代前半の撮影
★松田おすすめの1冊★
入手困難だからこそ読んでおきたい。


